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薔薇色ではないDTP化

1990年代、いわゆる失われた10年の中での、日本におけるDTPの普及の背景には、国内の出版状況が一つの要因として考えられる。1冊あたりの実売部数が減少していく状況の中で、出版社は利益を確保するために出版点数を増加させていった。これは出版飽和と呼ばれる状況を生み出し、さらに悪循環を招いているともされるが、実際に効果のある処方を目の前にして(全体の傾向として)営利企業がその道を選ばないわけには行かなかった。

コストを下げつつ出版点数を増やすためには、何らかの新しい方法の導入が必須であった。時を同じくして訪れたDTP技術の発展も一つの要因となって、出版業界のDTP化が進んだと言われる。複雑なレイアウトをする必要のない書籍などの場合、出版社の編集者が自分で修正や、あるいは組み付け自体を行うことができることも経営者にその道を選ばせる理由となった。

ただしそこには負の面がつきまとう。印刷会社あるいは専門の組版会社が受け取る1ページあたりの組版単価は(写植、活版の時代から比較すると特に)下落の一歩をたどり、利益を維持するために時には過剰な負荷を伴う業務を受注することにより、DTPオペレーターや編集者が連日深夜まで(あるいは徹夜で)作業をする、というような状況も生まれており、心身両面で健康を害することもある。このため作業者の定着率が悪く、慢性的な人手不足に陥っているという意見もある。

組版の品質についても、様々なことが言われている。DTPの主流となっているQuark XPressやAdobe PageMakerは英語圏のレイアウトソフトであるため、縦組みやルビ、禁則処理など、日本語特有の組版に対する対応が十分ではなかったため、職人の手になる、活版・手動写植・電算写植における組版品質の実現が難しく、組版にこだわりのある編集者や著作家にとっては得心のいくものではなかった。

そのような中で日本のメーカーが、日本語を念頭において設計したDTPシステム、ソフトウェアを投入し、一定の支持を得たが、QuarkXPressの牙城を崩すには至らなかった。

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